羽田から2時間弱。空港を出ると途端に包み込むまぶしい光、あたたかい湿った空気。
ふるさとという言葉に思い入れを抱くにはまだ少し若いと思いながらもここ鹿児島の光景、人との関わり、味のすべてに都会で固まった口元や涙腺がゆるむような心の動きを覚えます。
鹿児島に帰ってから東京に戻るまで。
進学で鹿児島を離れてから約10年、短い帰省のたびに撮り溜めた写真をもとに この土地に、人々に感じるきらめきや愛着を表現しました。
羽田から2時間弱。
空港を出ると途端に包み込むまぶしい光、あたたかい湿った空気。
ふるさとという言葉に思い入れを抱くにはまだ少し若いと思いながらも
ここ鹿児島の光景、人との関わり、味のすべてに
都会で固まった口元や涙腺がゆるむような心の動きを覚えます。
夢のひとつだった京都の芸大に入り、2回生になり、基礎を学び終えたころ、自分は特に絵がうまいわけではないこと、そして自分の中に表現したいものが何もないことに気づきました。
制作室の仲間が自分の表現を見つけていくなか、悩みながらも何か描かなければと手に取ったものが身近な風景でした。
京都を歩くなかで撮った写真や旅行中の恋人、帰省時の家族の写真など、特別かっこよくはないけれど愛着のあるものたちをたくさん描いていきました。
写真をそのまま絵にするなんて創意工夫がない、と怒られないだろうかと、おずおずと教授や制作室の仲間に見せたところ、存外におもしろく捉えてもらい、自分そのものを肯定してもらえたような思いがしました。
東京に出て社会人になり、絵を直接見せることはなくなっても、細々と描き続けてきました。 モチーフは変わらず自分の見た光景・手の届く範囲の愛着のある、個人的なもの。
年末年始の鹿児島。 私と同じように普段はこの地を離れていて、帰省してきている方もいらっしゃると思います。
鹿児島に帰ってから東京に戻るまで。 私のはじめての個展となる本展では、進学で鹿児島を離れてからの約10年で撮った帰省時の写真をもとに作品をつくりました。
私の作品は至って個人的なものですが、鹿児島という土地・風景を通じてご覧になる方々の心に少しでも触れることができたらと願っています。
東京に住んでから飛行機代が高くなる年末年始は帰省しないことが増えましたが、京都にいた大学の頃は新幹線や夜行バスを使って帰っていました。大晦日から元日は出水の祖母宅で過ごします。
こたつで紅白を見ながらみんなですき焼きを食べ、順番にお風呂に入り、年越しそばを食べ、年が明けるころに外へ出て(出水は本当に寒いです)、いちばん近い小さな神社へ行き、おみくじを引く。日が昇ったらぼちぼち起き出して、おせちとお雑煮を食べ、親戚に挨拶回りに行く。この絵は夕方のくつろいだ時間の母、妹、わたしを描いたものです。
当たり前のようであったこれらの年末年始の風景は、祖母が病気になる前、わたしが大学2年生くらいまでのこと。今秋に祖母が亡くなり、もう二度と同じように過ごすことはないのだなと改めて思い、少し寂しくなりました。
中学時代からの友人に、「女神」と呼ばれる人がいます。優しい穏やかな性格でいつもにこやか、おまけに見目も麗しく、ここが表参道ならスカウトされていたのではとわたしは思っています。
中央の人物はその「女神」で、絵の元になった写真の時点でその呼び名にふさわしい神々しさがありました。さえずりの森に遊びに行った際、龍門滝の川「網掛川」での偶然の一枚です。
自分では自分の絵を「あまりかっこよすぎても自分の絵らしくない」と感じているので、モデルもライティングもロケーションも抜群の写真を作品にするか迷いましたが、個展という人にお見せする場のことを考えたとき、誰が見てもかっこよく美しい、力のある絵が必要なのではと思い、描くことを決めました。描く直前に帰省をして緑をたくさん浴びたおかげで臨場感あふれる作品にできたと思います。
「初盆はお墓に集まって暗くなるまでお菓子を食べたりお酒を飲んだりするよね」と言うと「お墓で?信じられない」という反応が返ってくることがあります。鹿児島県内でも地域によるのか検索してもあまり情報が出てきませんでしたが、少なくとも両親の実家がある出水ではそうしています。
これは祖父が亡くなった年の初盆のときの写真を元にしています。人当たりのよいいとこたちや姉、妹とちがいどうにも根暗なわたしは積極的に話の輪に入れずにいましたが、お墓という場所でも湿っぽくならずにみんなが楽しそうにしている様子やいとこの子どもたちの元気な様子、小高い墓地から見える赤く美しい夕空を眺めて、何だか心地よいなと感じていました。
姉が仕事の日は車がないため、母と出掛ける場合はバスに乗ることになります。平日の昼の天文館に向かう車中、乗客は他にほぼ誰もいません。なんでもないような話をしたり、母がポケモンGOをするのを眺めたりします。
東京には燃料電池バスなどというぴかぴかで音が静かで人や環境にやさしいバスが走っているのを見かけます。新しくて便利なほうがいいかもしれませんが、このやさしいまろやかなグリーンの内装も、多くの人を乗せた年月を感じる小さな傷の味わいも、いつまでもあってほしいなと勝手に思っています。
歴史ある木造の駅舎と猫駅長で有名な嘉例川駅、の駐車場です。空港の近くにあるため来るのはたいてい東京に戻る日で、空港へ行くには少し早いなというときにふらっと寄ります。あたたかみのある駅舎と緑に囲まれた線路に癒されつつも、わたしにとってはひとりの生活に戻るのだという寂しさもほんのり感じる場所になっています。
この猫は駅長ではなくおそらく野良猫で、ちょっかいをかける恋人を不審げに見ながらも、逃げるでもなくのんびりと過ごしていました。
父の実家は出水麓の武家屋敷で、この文旦はその庭先に植えられているものです。
私はたまに帰省した際に申し訳程度に草むしりを手伝うだけですが、父は忙しく働く傍らほぼひとりで広い敷地を世話しています。毎日の落ち葉、あっという間に茂る草、道路にはみ出す木、石垣を覆う頑固なツタ……と終わりのない作業をいやな顔ひとつせず、むしろ日々楽しんでやっているように見えます。
大通り沿いにあるこの文旦の老木は野村家の目印で、カミキリムシにやられてはいますが毎年おいしい実を付けます。武家屋敷は通りよりやや高い構造になっているので、通りからその様子を見上げるとなかなかきれいです。麓にお越しの際にはほんの少し足を止めて眺めていただけると父も喜ぶと思います。
zenzaiマージナルギャラリー
鹿児島県鹿児島市呉服町6-5マルヤガーデンズ7階TEL:099-248-9369
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夢のひとつだった京都の芸大に入り、2回生になり、基礎を学び終えたころ、自分は特に絵がうまいわけではないこと、そして自分の中に表現したいものが何もないことに気づきました。
制作室の仲間が自分の表現を見つけていくなか、悩みながらも何か描かなければと手に取ったものが身近な風景でした。
京都を歩くなかで撮った写真や旅行中の恋人、帰省時の家族の写真など、特別かっこよくはないけれど愛着のあるものたちをたくさん描いていきました。
写真をそのまま絵にするなんて創意工夫がない、と怒られないだろうかと、おずおずと教授や制作室の仲間に見せたところ、存外におもしろく捉えてもらい、自分そのものを肯定してもらえたような思いがしました。
東京に出て社会人になり、絵を直接見せることはなくなっても、細々と描き続けてきました。
モチーフは変わらず自分の見た光景・手の届く範囲の愛着のある、個人的なもの。
年末年始の鹿児島。
私と同じように普段はこの地を離れていて、帰省してきている方もいらっしゃると思います。
鹿児島に帰ってから東京に戻るまで。
私のはじめての個展となる本展では、進学で鹿児島を離れてからの約10年で撮った帰省時の写真をもとに作品をつくりました。
私の作品は至って個人的なものですが、鹿児島という土地・風景を通じてご覧になる方々の心に少しでも触れることができたらと願っています。