かつての水たまり 屋根のある場所

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もう11年も前の春のことですが、私は鹿児島から京都の芸大に進学し、何の変哲もないホームシックになりました。

はじめての一人暮らし。はじめての大学。はじめての関西。
速くて面白い会話。個性も技術もある絵。既にできあがっている画塾からのコミュニティ。

あらゆることができず、なじめず、コンプレックスを感じて、
帰宅してはめそめそ泣いているような日々が続きました。

そんなときによりどころとなったのが、鹿児島時代から親交のあったはまや家の方々です。
招かれた神戸のおうちでお腹いっぱいおいしいごはんを食べさせてもらったり、展示や観光に連れて行ってもらったり。
せめてもの家事のお手伝いなど何もしておらず、振り返るとだいぶ厚かましいのですが、
私に何も期待せず、ただあたたかく接してくれたはまや家の方々がとてもありがたかったです。

それから徐々に生活はスムーズになっていき、特に何も成さずに卒業して上京。習得した関西のイントネーションもすっかり平らになりました。
はまや氏との親交は続き、おうちには遊びに行けていませんでしたが、こうして二人展を開催させてもらえることをうれしく思います。
当時のことを振り返り、いろんなつらさを抱えつつ、なんだかんだ楽しめたよな、という思いで遠い大学時代を描きました。

野村みずほとは小学校6年生のとき、選択授業の「工作・イラストクラブ」で知り合いました。同じクラスになったことはありませんが、中学3年間は同じ美術部で活動し、良き友人となりました。

中学生活の途中から、私は病気を抱え、病院と学校を行き来する日々を送っていました。保健室にもいっぱいお世話になったし、色んな悩み事をひとりで抱えこんだし、辛いことは山ほどありました。私のことを嫌っている人から悪意をぶつけられることもありました。そんな自分の支えになってくれたのは、家族と友人たちです。特に野村に関しては、ご家族にも大変お世話になりました。

家では自分のことを愛してくれる家族がいる。しんどくても学校に行けば、楽しく話せる人たちがいる。それを支えに、時には学校を休みながら、精一杯毎日を越えてきました。

仲がいいからって、お互いの全部を知っていなくてもいい。この世界のどこかにいるということだけで心の安らぎになるような友人たちに恵まれたことは大きな財産です。

転勤族だったが故に途切れた縁もありますが、中学時代に友人の大切さを知った私は、その後も多くの良き縁に恵まれました。辛いことが沢山あった。苦しいことも沢山あった。でも、振り返ると、あの日々は輝いています。

大人になった今、輝く思い出の中でずっと近くにいた野村と共に二人展を開催することができたことを大変嬉しく思います。私は、中学時代のことをメインにしつつ、学生時代を振り返る作品を描きました。
あの頃毎日必死に生きていた自分は、周囲の人たちのおかげで生きていられたんだなぁ、と思いながら。