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2016.01.13

よそもの

「よそもの」
1/11によそもの展が終了しました。
会期は本当にあっという間で、搬出が済んでから小ギャラリーの前を通ると「ああもう終わったのか」と実感して一抹のさみしさを感じるほどです。

本展に対する思い入れは以前の記事でだいぶ述べましたがいますこし。

よそものでは、わたしは故郷鹿児島とこの地京都を比較して、それぞれで見た景色を描くことにしました。
鹿児島についてはさきの記事で述べた通りに、美化された思い出の土地であり、描きたい場所がたくさんありました。それらはどれも作品として整った形で表せるものばかりでした。
一方で京都で描きたい場所を探してみると、ここだここを描かねばならぬという決定力に欠けるものばかりで、悩んだ挙句ドローイングという形でさらりと捉えることにしたのでした。
おそらく、生まれついた場所ではないことと、現在生きている土地であることが、自分の中で腑に落ちる表現がしにくくなっている原因だとおもいます。
京都の絵を描こう、と意気込んだことが何回かありますが、舞妓、鳥居、抹茶、などベタなイメージに毎回悩まされてきました。
せっかく京都にいるのだから、イメージだけで語れるものではなく、ここでしか見られない景色を見て、住んでいるものにしか描けない・味わえない京都を描きたいとおもいます。
というわけで、よそもの展は終わりましたが、京都のドローイングは続けていくことにします。いい課題を得ました。なにより気軽で楽しい。

他のふたりのよそものたちの作品もわたしは大好きです。
あたたかくてまぶしい光の照る大﨑の絵に、
小さいものたちが本当にすんでいるであろう高橋のミニチュア。
ほっこりするとの評判をいただいたよそものの空間はこのふたりなくしては出来上がりませんでした。
展示前のフリーペーパーの段階から変なテンションで穏やかに意見を交し合っていました。
ピリピリしがちな展示という舞台でも和やかな心持ちでいられたのは本当に素晴らしい。
気の合うよそものがこの専攻にふたりもいてよかったとおもいます。

展示をする、というのは、大学に入る以前からずっとの憧れで、それが実現できたことは本当にうれしいことです。次は個展がしたいと夢を見て描き続けることにします。