2016.07.13
「銀閣」
切りっぱなしキャンバスに油彩 2016.5
鹿児島から来た友人の希望で銀閣にお供したときの写真から描きました。
右端の女性がその友人です。あとはアジア系の外国人。
銀閣は何回か来ているので、銀閣そのものよりも観光客のほうに目が行ってしまいます。
写真撮影にベストなポイントではことごとく全員が同じ方を向き同じ姿勢になる。
それが面白くてつい撮ってしまいました。銀閣は撮りそびれました。
2016.07.08
「パンケーキ」
切りっぱなしキャンバスに油彩 2016.5
大きな声では言えませんが、制作室でパンケーキを焼いたときのものです。
ホットプレートはかつての先輩方から受け継がれて制作室に転がっているものを使用。
他にも調理器具が充実しています。食器類も不足はありません。
ゴールデンウィークに出かけるでもなく昼から夜中まで集まって何か食べていました。
こういった学校のゆるさとみんなの団結力が大好きです。
2016.05.31
「ガトリン」
切りっぱなしキャンバスに油彩
5月7日に行われたセイコーゴールデングランプリを観戦したときのものです。
生で陸上の大会を観られるのは昨年の9月ぶりだったので大いに楽しみました。
しかも選手のレベルが高く、進行も非常にスムーズなテンションの上がる大会。
カメラの電池残量と格闘しつつ滅多に活躍しない望遠レンズをここぞとばかり使いました。
男子100メートル走は花形種目で、トリとして行われました。
1位になったガトリン選手が花束を受け取りインタビューに答えようとしているところです。
会場はスタンディングオベーションでした。わたしはひたすらレンズを覗いていた。
前回大きなかっちりした絵を描いたので今回は気ままに量を描いていこうという試みに戻ります。
教授は画面構成や技法のアドバイスを下さいますが、いまは自分の周りをただ大事に楽しみたいという思いで描いています。
私の作為が入ると、大事な日々がちがうものになるような気がしています。
2016.05.22
「網戸」
F100 キャンバスに油彩
実家の中から狭い庭を見たときの景色です。
人物は手前がわたしで、奥が母です。春の陽気の中でおしゃべりをしていました。
居間に放置していたわたしのカメラで姉が勝手に撮っていた写真が存外に面白かったので使いました。
四条の雑踏を描いた前作と対立する位置づけで描いています。
都会的で刹那的、誰でも構わない前作に対し、
こちらはいつも変わらない田舎の親密なワンシーンです。洗濯物も干してあるだいぶプライベートな空間となっています。
しかし、やはり就職活動の不安というものは帰省時にも大きく影を落としてきました。
ここに描かれている母ともだいぶ衝突し、いつもより距離感がある日もありました。
また、このころ友人のお父様が亡くなられ、今当たり前のようにいる家族もいつかは失われてしまうという無常観も持ちました。
あたたかな春の穏やかさと、視点の奇妙さ、避けられない不安感を一枚に収めました。
2016.05.21
「誰でもよさ」
F100 キャンバスに油彩
四条大橋から四条河原町方面へ歩くときの眺め。
小春日和にふらふら出掛けて写真をとったものから描きました。
雑踏に焦点を当て、描くときに心がけたキーワードは、
刹那的 都会的な軽さ 不安感 目は合わない 自分以外はすべて同じ 誰でもよさ
などのなんだかネガティブなものです。
春休みは就職活動の不安を誰にも会えずにひとりで抱え、どうしようもない精神状態になっていたときでありました。
気晴らしになればと出掛けた河原町、人混みに体を預けて歩くと、平素の心境では感じることのない心地よさがありました。
ほかの人々といっしょになって溶けたように漂い歩いて、そうしている時間は何も考えずに胸を空にしていることができました。