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2016.05.21

「誰でもよさ」
F100 キャンバスに油彩

四条大橋から四条河原町方面へ歩くときの眺め。
小春日和にふらふら出掛けて写真をとったものから描きました。

雑踏に焦点を当て、描くときに心がけたキーワードは、
刹那的 都会的な軽さ 不安感 目は合わない 自分以外はすべて同じ 誰でもよさ
などのなんだかネガティブなものです。

春休みは就職活動の不安を誰にも会えずにひとりで抱え、どうしようもない精神状態になっていたときでありました。
気晴らしになればと出掛けた河原町、人混みに体を預けて歩くと、平素の心境では感じることのない心地よさがありました。
ほかの人々といっしょになって溶けたように漂い歩いて、そうしている時間は何も考えずに胸を空にしていることができました。

2016.05.05

「かいこ」
2013 F30パネルにアクリル絵の具、水性ペン

3年前に描いたものです。
当時はキャンバスロールを買えなくて安いベニヤと六ツ割で上手くないパネルを作り、ジェッソを塗り描いていました。
描き方もテーマも今とは全く違い、まだ高校で覚えた描き方をなぞっている段階でした。

慣れ親しんだ高校が恋しくて回顧してばかりの、自ら繭の中に閉じこもる蚕の姿です。
しかし、膝の上にカミキリムシがいます (水性ペンで描いたので今はもう褪せてしまっていますが) 。
包帯を噛み切ってくれるはずなので女の子は外へと歩き出すことができるでしょう。

今見るとちょっとむずがゆいですが、アクリルならではの根気強い重色による透明感の出し方や自分なりに頑張った顔のデフォルメなど、気に入っている部分も多い作品です。

2016.03.20

「催花雨」
最近天気予報を見るとはなしに見ていたところ、この言葉が紹介されたとたんイメージの美しさに我に返りました。
春になる頃の湿気をはらんだ空気、曇っていながら明るい白い空、細く降る雨、露を含みほぐれそうになるつぼみ。
日本語は言葉に空気のにおいがあるところが大好きです。
それはさておきひっそりと三つ編みの先が桜のはなびらになっているのには気づいていただけたでしょうか。

2016.02.24

「京都在住観光記 四条」
F15キャンバスに油彩 2016.1

お気に入りの絵です。昼下がりにアーケードに差し込む光のまぶしさそのままに描き出せたとおもっています。雑多な人込みも動きが見えます。
そんなこの絵がきょう、わたしの元を旅立ちました。
白河の一本橋を描いたものとともに、お買い上げいただきました。
学生でありますしギャラリーを通さない個人間の売買ということでお安くさせていただきました。
お迎えしてくださったのは制作展をご覧下さった京都滞在中の海外の方です。
京都をモチーフにした一連の絵は、京都に住んでいる外国人の心をくすぐると仰いました。
在住よそものであるわたしと似たような感覚なのかもしれません。
その方は、展示会場に名刺も置いていなかったわたしのサイトを探し出し、メールフォームからご連絡をくださったのです。
友人に英訳を頼みながらで時間のかかるメールのやり取りにも根気強く応じてくださいました。
実際に絵を携えてお会いしてみると、とてもフレンドリーで明るい方で、この方なら喜んでお売りできると確信しました。
やはり作品の嫁ぎ先は幸せな場所であってほしいものです。
その方が母国に帰られてから京都を思い出す縁になればいいなとおもいます。
幸福な経験を積みました。
まことにありがとうございました。

2016.02.10

「京都在住観光記 六角堂」
切りっぱなしキャンバスに油彩

本日から14(日)まで、京都市美術館にて京都市立芸術大学制作展が開催されています。
学校を挙げての作品展示で、全校生徒が日頃の創作の成果を発表する年一回の貴重な場です。

わたしは油彩画8点を展示しております。
「京都在住観光記」と題した作品群。
上の画像はその一つで、前の記事と同じ友人が写りこんでいます。
三条烏丸あたりにある六角堂の裏に回ったあたり。
このシリーズは年末から続けているもので、京都に住んでいるなかで撮影した写真をもとに肩ひじ張らずに描いています。
京都には有名どころがあふれておりますので、そこがどこだかわかる人もいる。
けれど観光客が撮ったものとも違うような、住んでいるよそものならではの視点で京都を捉えたい。

観光客が撮ったものとわたしが撮ったものは、記録という意味では同じですが、わたしの写真は完璧さを求めません。撮るときに構図云々は気にしない。
見知らぬ人が写りこんでいたり、大事なものが切れていたり、遮られていたり、ぶれていたり。
実際、この青い服の友人に「写真が下手」と揶揄されたことがありました。
そうと言われちゃ上手になってやろうと思い、しばらく真面目に構えて撮影をしてみた時期があります。
そのときの写真を振り返ると、おしゃれだったりお手本通りだったり、 SNSに大量に上がっているような、 面白味を持たない写真ばかりになっていることに気づきました。
それらは全然生っぽさがない。自分の見たものと画像との距離が生じてしまう。
そういったわけでいままで通りの瞬間をとらえる方法に落ち着いたのでした。

作品の陳列後に先生に講評をいただき、このシリーズへの新たなヒントを頂いたので、他の制作の傍らにでもこれからも取り組んでいこうとおもいます。
ぜひ作品たちを観にいらしてください。